JUGEMテーマ:写真日記
この日僕は東京駅6時32分発のはやぶさで、七戸十和田を目指していた。
真冬の早朝。北を目指す人は少ないだろう。そう考えていたら
そんな事もなくて、普通車の窓側は完売。
隣席に人が居てほしい気分では無かったので、グリーン席を指定した。
ここは数える程しか、乗客は居なかった。
3時間少々の自問自答の時間・・
定時に七戸十和田着。2月のソコはもっと寒いのかと身構えていたが、
思いの外穏やかで、暖かな陽光が射していた。
駅でレンタカーを借りて、今日の目的地の病院に向かった。
末期がんを患った義母の死期が迫っていた。
カミさんは最後の時間を一緒に過ごしたいと、1週間ほど前から病院に詰めていた。僕はというと、仕事を抜けることが出来ずやきもきしていたのだが、明日から大阪仕事を経てしばらく札幌入りというところで、やっと1日休みが取れた。
病院に着くとカミさんとkei、そして2番めの姉さんが出迎えてくれた。コロナの走りの頃だったので、検温とマスク着用で見舞いが可能だった、
病室の義母は数日前から既に昏睡状態で、目をつむりゆっくりと深い息をしていた。時折言葉にならない声を発するが、ソレは無意識のものらしい。もうこちらの問に答える意識はない。
いつ旅立ってもおかしくない状態だったが、この時は容態も安定していたので、お昼を食べに行こうという話になった。皆ここ数日、どんよりとした緊張感に支配されていたので、少し気分転換だ。
近くの街まで、クルマを走らせた。
ところが・・・
走り始めて程なく、病院から容態急変の知らせ。
慌てて来た道を戻ったのだが、病室に入ると義母は生きることに終いを付け、旅立った後だった。
92歳で永眠。大往生・・・
泣き崩れる面々。皆口々に、臨終に立ち会えなかった否を侘びていた。
「近しい人には、自分の最後は見せないのさ」
ずっと面倒をみてくれた看護師さんが、そう声を掛けてくれた。最後の恥じらいだったのかな・・・
最近は相当量の痛み止めで、苦痛を抑えていたとのこと。意識はなかったが、やっと訪れた僕の気配を感じていたのかもしれない。
「来るのが遅い。娘のことはよろしく。じゃ逝くから」
このタイミングの旅立ちに、僕はそう言われたような気がした。
以前書き記していた記事に加筆修正、投稿。
2年前の今日、僕はそんな弾丸ツアーで、義母の見舞いに向かっていました。この頃は仕事が詰まっていて、休みが取れない状態。やっと空いた隙間の日に始発の新幹線に乗り、16時の新幹線で帰路につくという旅程を組みました。
正味4時間程度の滞在時間の中で、まさか見送ることになろうとは、思いもしませんでしたけどね・・・
中々ピースの揃わない人生のパズル、どこでハマるか判らないものです。
臨終のあと、早々に退院手続き、病室の退去清掃。そしてご遺体の帰宅と、粛々と葬儀へ向けて準備が進んで行ったのですが、僕はタイムアウトとなり、喪主である義兄に、葬儀不参加の詫びを入れて帰路につきました。
翌日からは大阪・札幌・函館と矢継ぎ早に流れて行き、感慨に浸る余裕が出来たのは、室蘭にひと月ほど腰を据えるようになってから。
肝心なときに、自発行動を制限される不甲斐なさ、胸中複雑。答えは判っていても結論出せず・・・
色々と踏ん切りがつくまで、さらに1年以上掛かりました。
さて、今日はその義母の三回忌。
法要の予定もありましたが、また世間が騒がしい状況なので自粛。自宅で故人を偲びたいと思います。