【ジャンジャン横丁】
「昭和初めには「両側から湧き起る三味線の喧騒、途方もない高い声を張り上げて、やけに喚き立てるサノサ節や、串本節や、道頓堀行進曲。さういふものが一緒になって、道行く人の心を沸き立たせる。ずっと、博覧会の売店を見るやうなバラック建てに、軒先には、みな同じやうな暖簾をくぐって中に入ると、大抵は鍵形りにとった長い食卓が設けられ、その上には、関東煮の鍋がぐらぐらと煮え立っている。・・・薦の被った酒樽が並び、その前の椅子に腰をかけた女が、がちゃがちゃと三味線を弾いている。関東煮の鍋の向こうには、首筋を真っ白に塗った女が、ずらりと並んで、客に酒をついで、唄ひ、呑み、呑み且つ唄ふ。」(北尾鐐之助『近代大阪』349~350頁)というような賑わいを見せていた。」
ジャンジャン横丁はこの三味線の撥音に由来する。この喧騒は戦後も続き、道沿いには飲み屋や射的の店が立ち並んでいた。
Wikipediaより、抜粋拝借・・・
狭い路地の両側に、飲食店や射的などの遊技場が軒を連ねる様は、往時とは違うにせよ、心地よい賑やかさに包まれていた。
「三桂クラブ」
最近、再放送のドラマでココが舞台となっていた。ソレで確か写真撮っていたなと想い出し、一連の没写復刻を思い立った。
通りから望むこの光景、中々の圧巻。コレが何時までも残るといいと思っていたが、昨年6月に80年の歴史に幕を下ろした。コロナのソレが効いたらしい・・・
ココは健在・・・
居眠りしていた先輩。ソレも含め緩く味わいのあるお店。今はどうかな・・・
さて、ガードを潜りその先へ・・・
続く・・・
XF35mmF1.4R + X-T30