京極の天ぷらそば。子供の頃の思い出の味・・・
宮城県本吉郡津山町横山(現登米市津山町)。そこに母の実家があり、夏休みは帰省してお盆過ぎまで滞在するというのが恒例行事。
しかし山間沢沿いの狭小集落での滞在なんて、子供には苦行でしかない。沢で遊ぶ山に分け入るなんて3日で飽きる。テレビだってNHKと民放1局がギリ見れるくらい。娯楽と縁遠い生活・・・
僕の不満が限界に達しそうな頃に、母が連れて行ってくれたのが志津川町(現南三陸町)
海辺に面した界隈ではそこそこ大きい街。子供に嬉しいおもちゃ屋なんかもあった。何しろ陸前横山駅から気仙沼線に乗っての列車旅が、最高に楽しかった。山間を抜けた先に広がる志津川の海の景色がとても美しかったし、ソコを走る気動車のエンジン音に、僕は子供心に萌々だった。
志津川に行くときは、大体昼食時を目指して出かけていた。そして京極で天ぷらそばを食べた。ここで供される天ぷらそばは、かけそばの上に鱚天が鎮座していた。
天ぷらそばといえば、海老天が横たわっているもんだろう。だから贅沢品で、滅多にお目にかかれない代物という印象だったが、なるほど田舎に来るとコレが普通なんだと、勝手に納得して食べていた。
なにしろ帰省中のこの期間は、山菜・漬物・路地野菜・極たまに魚や肉と、甘やかして育てられていた一応都会っ子には食が細る食材ばかり。京極の鱚天そばは、大したご馳走だった。
そんな思い出の味を忘れそうになると、頃合いを見て訪ねていた。しかし歳を重ねるごとに頻度は減り、気がつけば遠い存在になってしまった。でもそのうち行けるだろうと構えていたら、311で事態が一変してしまった・・・
まさか、あんな事になろうとは思いもしなかった。押し寄せた津波に街は飲み込まれ、京極も流されてしまった。
アレから月日は流れて、僕も何とか生きながらえているけど、京極もちゃんと復活していた。
2023年7月、僕はやっと京極を再訪することが出来た。そして思い出の味と再開。鱚天そばも健在だった・・・
眼の前に供されたソレを前に、僕は目頭が熱くなってしまった。でも、オッサンが一杯の天ぷらそばを前にして、泣いていたらおかしいからね、ソコは堪えた。
例えば、美食を求めて遠路はるばる食べに行く味かといえば、そうではないと思う。普通に美味しいお蕎麦屋さん。
でも僕にとっては思い出という薬味が、味に華を添えている。
さて、食後の散策・・・
南三陸町の震災復興は、土木工事は概ね終わっていると思われ、住民は新市街地に転居して、旧市街地は嵩上げされて以前の面影は無い。
堤防の奥に見える、震災遺構となった「ブライダルパレス高野会館」
4階建ての建屋。その3階天井付近まで、津波は到達した。ワンスパン5mとして15m。想像してほしい。ソレがどれだけ恐ろしい状況だったか・・・
伝説となりつつある防災庁舎は、嵩上げによりすっかり周囲からは判らなくなっていた。
建屋をスケルトンにしてしまい骨格までも歪めてしまったのは、すべて津波の想像を超えた破壊力・・・
この写真では判りにくいが、建屋が左に傾いている。津波は右側から押し寄せた・・・
あれから13年が経つ。早いのか遅いのか、人それぞれの時間軸。
復興には時間がかかる。営み、そして心の修繕にもね・・・
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