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歳取ると、ひとり言増えるよね・・

忘れない・・

JUGEMテーマ:写真日記
 
 
昨年11月に仙台で仕事があった僕は、その脚でここを訪ねました。
 
 
 
 
宮城県本吉郡南三陸町。 僕には志津川の方が馴染みがいいのですが・・
311でこの街も想像を絶する大津波により大きな被害、そして多くの方々の尊い命が失われました。
その街の防災対策庁舎。 押し寄せる津波を前に、最後まで防災無線で避難を呼びかけた女性職員の偉業には、今でも胸を打たれます。
 
 
 
 
多分ALCであったであろう外壁は津波にもぎ取られたのでしょう。堅牢な鉄骨だけが残ったその躯体。それも右に傾いているのが判りますか? 襲いかかった津波のとてつもない破壊力が見て取れます。
 
 
 
 
 
 
 
職員約30人は屋上に避難したが、屋上の床上約2メートルの高さまで津波が押し寄せ、度重なる津波によって庁舎は骨組みだけとなった。アンテナにしがみつくなどして波に耐えた町長ら11名は生還したものの、庁舎に詰めていた他の職員や住民は津波で流され犠牲になった。(Wikipediaより)
その時ココがどれほどの惨状だったか・・  
 
 

忘れない・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先にどんな営みがあったのか・・・

 

 

さて、コレ、なんだか判ります?

 

 

 

 

JR気仙沼線の橋のたもとです。土盛りだった路盤は跡形もなく流されました・・

気仙沼線の全通は沿線住民の悲願でした。 母の実家が陸前横山が最寄り駅。 夏になると帰省のお供をしていた僕も、開通した年の夏は妙に嬉しかった事を今でも覚えています。

そして志津川まで列車に乗って遊びに出かけた事は今でもいい思い出です。 しかし、津波はその歴史を、そして未来を一瞬にして容赦なく流し去ってしまいました。 鉄道としての復活はあるのかな・・

 

 

 

 

震災から3年を前にやっと志津川を訪ねることができました。 実は志津川を訪ねたのは10年以上ぶりだと思います。記憶が定かで無い・・

なので、復興作業が進むソコは少し規模の大きい造成地といった趣きで、2011年3月11日14時46分までそこに街並みが 存在していたというリアルな悲壮感を感じなかった。 少しでも思い出の地であるはずなのに、歳を重ねた僕の記憶と現状の脳内処理の結果はそんなものでした。 これじゃ縁もゆかりもない人々にとっては、どんどん過去話になってしまうはずだよね。 忘れない・忘れちゃいけない・・・ 

 

 

 

 

ここまで読んでいただいて、時系列的に疑問を感じた方も多いのではないでしょうか?

実はこのエントリーは一昨年2013年の11月に志津川を訪ねて、その時の想いを書き連ねたものです。 その時にアップすれば良かったのですが、あと一文足りない気がして、機会を逃していました。

結局、コレまで被災地に対して何もアクションを起こせずに4年が経とうとしていますが、 今や復興は個人レベルの力から、行政と民間事業者による次のフェーズに移っています。

僕にできること・・

それは小さな事だけど、この事象を忘れないこと。 この時、以前のエントリーで紹介したお蕎麦屋さん「京極」を、復興した小さなショッピングモールで見つけました。 しかし、残念なことに定休日でした。 懐かしいあの味を確かめに行きたいな・・

この時訪ねた防災対策庁舎。この後解体されると聞いていました。 しかしその後、いくつかの経緯を経て、今年に入り宮城県が2031年まで県有化することの検討をはじめたそうです。 どうなるのでしょうか・・

その決は、今月中に出るようです。

 

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