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歳取ると、ひとり言増えるよね・・

静かな校庭に残るもの・・

 

2年前の5月某日。

 

 

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僕らは追波湾を望む北上川の河口に居た・・・

 

 

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北上川は岩手県岩手町を源に流路延長249kmを流れる東北の大河。登米市付近で旧北上川と分かれ、ここへ辿り着くのは明治時代に洪水防止の目的で開削された新北上川だ。

 

 

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大河の終着地は、それらしく風光明媚で穏やかな眺めが広がっていた。

 

 

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この日僕らは、ここから約4Km上流にある大川小学校を目指した。

 

 

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「石巻市立大川小学校」

遡ると、1873年(明治6年)に桃生郡釜屋小学校として開校。その系譜は112年の時を経て、1985年に現在の地に大川小学校として引き継がれた。

 

 

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2011年3月11日。東日本大震災による津波が、近くを流れる新北上川を遡上。押し寄せた水の塊は、当時校庭にいた78名の児童と校内にいた11名の教職員、さらに避難してきた保護者や地域住民をのみ込んだ。

 

 

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児童78名のうち70名が死亡、4名が行方不明。
教職員11名のうち10名が死亡。保護者や地域住民、そしてスクールバス運転手も犠牲となった。

 

 

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ここは、そのような痛ましい惨事のあった場所だ。

 

 

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現在は震災遺構として、整備保存され一般公開されている。

 

 

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奥手に山が見えるが、そのさらに先に追波湾がある。
コンクリート製の渡り廊下がねじり倒されているが、津波は山側から押し寄せたのではなく、堤防を越えて手前側から押し寄せたという。

津波に気付きにくい地形。
気付いた時にはすでに切迫した状況だったのかもしれない。

 

 

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津波は校舎屋根の前端付近まで到達した。
二階建て校舎の中に、身を守れる場所はなかった。

 

 

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「未来を拓く」

校歌の曲名でもあるこの言葉を、平成13年度の卒業生たちは卒業制作として壁画に残していた。

 

 

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被害に遭った児童たちにも、それぞれの未来があったはずだ。
しかしそれは、この日を境に突然途切れてしまった。

 

 

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校庭の裏手には山へ続く道がある。
当時の状況を詳しく知ることはできないが、傾斜は緩く険しい道ではない。ただ当日は積雪があり、足場は悪かったという。

 

 

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登りきった場所から見た小学校全景。
すぐ奥には新北上川が流れる。

ここまで上がっていれば助かった可能性が高いと言われている。
しかし当時は様々な事情や判断が重なり、結果としてこの場所にとどまることになったのだろう。

 

 

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コンクリートはねじれるのだと、ここを訪ねて初めて知った。
その亀裂の隙間から、新しい芽吹きが顔を出していた。
逞しい。

 

 

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15年前の3月11日。
大川小学校で起きたことについては、ここに詳しく記されている。

僕の稚拙な文章よりも、まずはこちらを一読されることをお勧めする。
そこには淡々と、しかし残酷な事実が記されている。

それが、この場所で起きた現実だからだ。

 

ja.wikipedia.org

 

 

新北上川を遡上する河川津波を捉えた恐ろしくも貴重な映像。

 


www.youtube.com

 

当時撮影した現場の航空写真222枚を元に立体映像を作成。河口付近の松林が流出して校庭に流れ着き、それが凶器となり被害が拡大したという主張の裏付けになった。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

そして、その立体映像と遺族が語る検証ドキュメンタリー

 


www.youtube.com

 

 

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あの日静かな校庭には、風の音しか聞こえなかった。

初夏を思わせる強い日差しと、やや高い気温。休日ということもあって、見学に訪れている人の姿も少なくなかった。

それでも不思議と、この場所には大きな声はなかった。
皆それぞれに何かを思いながら、瓦礫となった校舎を静かに見つめていた。

僕の印象に強く残ったのは、捻じ曲げられたコンクリートの渡り廊下だった。
あれほど硬いはずのものが、ここまで力を受けて形を変えてしまうのかと、しばらく立ち止まって眺めていた。

そしてその亀裂の隙間から、草が芽を出していた。

ほんの小さな緑だったが、その光景が妙に心に残った。

捻れたコンクリートと、そこに芽吹いた小さな草。
その対照的な光景が、この場所で見たものとして、いちばん強く記憶に残っている。

 

 

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ここで起きた出来事を思えば、軽々しく何かを語ることはできない。
ただ、この場所には確かに時間が流れ、そして今も季節は巡っている。

風景は穏やかでも、ここで起きた事実が消えることはない。

あの日を知らない世代が増えていくこれから先も、この場所が静かに語り続けてくれることを願っている。

 

 

HD PENTAX FA35mmF2+smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR+K-1Mk2