5年前の5月2日。
夕張から美瑛を巡る小旅。
その時の行はこの辺にまとめてある。今回はその補完と記憶の固定・・・
「Drive de, corona」というタイトル。コレは執筆当時 "コロナ禍の中ドライブしたよ" をイタリア語で表記みたいなつもりだったんだけど、今Google翻訳すると、ニュアンスが違うな・・・
さぁ、自由時間の始まりだ。緊急事態宣言が出て自粛モード全開の頃だったが、ソレより機会の逸失の方が大きいと判断したので、出かけることにした。
この日目指したのは、夕張と美瑛。夕張は確実に初めて。美瑛は記憶が曖昧。
道中クルマから降りずに撮った写真。収めて置きたかったのは、手前のトラックとかじゃなくて、ずっと奥の並木。かなり樹高のある並木だと思う・・・
コレも同様に撮影した写真。かまぼこ型の納屋に北海道を感じた僕・・・
「夕鉄バス車庫」
Googleマップで見ると、史跡のピンが付いてる。過去の人間活動の痕跡を史跡というと思うのだが、ココは既にそうなのか。
このままの姿を維持してくれるといいのだが・・・
この辺は、炭鉱跡を訪ねた時のものだが、夕張のどの辺なのかマークしていなかった。夕張炭鉱にはいくつかの採炭所があり、ココはそのひとつだった。
道路と敷地跡はあったけど、遺構のようなモノは殆どなかった・・・
「旧石炭歴史村」
観光地だけど、そんな時期だったので誰もいない。どんよりとした小雨交じりの天気が、負の雰囲気を助長する。
物見遊山というよりは、人目を避け行動する偵察任務的な感じ。誰からも命じられていないけどね・・・
夕張市役所前の映画絵看板。
夕張は明治時代初期から炭鉱の町として栄えて、ピークは1960年頃。その当時11万人を超える人達がここで生活をしていた。1990年に炭鉱閉山後は、以前からのメロン栽培や国際映画祭の開催など観光都市に活路を見出して来たが、状況は芳しくない模様。
この絵看板も、映画の街夕張を推したものだったはずだが、5年前のこの時点でかなり寂しい状況になっていた。
2007年に財政再建団体に指定された夕張市。写真に収まっているのは、市役所に併設された市民会館だが、2015年に閉館となっている。よく見ると入口は板で閉められ、窓のガラスの一部が欠損している。映画という文化振興をする上で、この手の箱物が閉じてしまうのは、痛手に感じる。
JR夕張支線、夕張駅跡。僕が訪ねる1年ほど前に廃線。
ホームと線路は残っているが、駅名標は撤去されていた。記念として残さないもんなんだ。枠だけ
現状も将来展望も決して明るいとは言えない夕張。しかし現在、人口の市中心部への集約や行政サービスの簡素化を図っていて、今後日本各所で顕在化してくる人口減少に伴う街の在り方について、一足先に実践的な試行錯誤が続いている。
続く・・・
XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS+X-T30