最寄り駅は産業道路。
3歳から5歳半ばまで、父の勤める会社の社宅住まい。
最初はトイレ炊事場共同の木造集合住宅。
風呂は銭湯。
いろんな人達が住んでいて、三軒隣の家に住んでいるおばさんが癇癪持ちで
いつも怖い思いをしていた。
ある日急に穏やかになって、食パンにイチゴジャムを塗って食べさせてくれたことがあった。
それからそのおばさんは、僕的にとても良い人。
母はずっと嫌っていたけど・・
それから敷地内に建った当時としては最先端、鉄筋コンクリート造りの住居に転居。
内風呂、水洗トイレ付きだった。
出したものが吸い込まれるように消えて行くのが、子供心に不思議でならなかった。
ある日救急車が敷地内に入ってきて、後を着いて行くと血の海に男性が沈んでいた。
最初に目の当たりにした、人の死。
いずれも、もう50年近く前の思いで・・
電車が走りだして、そんな事を矢継ぎ早に思い出している内に、
下りるつもりの産業道路を発車していた。
子供の頃は長く感じた道のりも、実際はそれ程遠くなかったのさ。
終点の小島新田も、冒険旅行で辿り着いた場所なんだけどね・・
XF-90mmF2 R LM WR+X-T2